《1,023回》再審査請求で社会的治癒が認められました! 【障害年金】
こんばんは(^O^)/
今日はとても嬉しいことが3つもありました。
そのうちの1つは、初診日の医療機関が既に無くなっている案件でしたが、
現在通院している病院に紹介状が残っており、
しかも、初診の医療機関の初診日がはっきりと記載されていました!
初診日が約20年前であり、初診の医療機関で証明が取れなかったのに加え、
昨年の熊本地震で、カルテ倉庫がどうなっているかが分からなかった今回の案件。
(カルテが散乱してしまったところは実際にあると思われます)
それだけに、この紹介状が残っていたことは非常に嬉しかったですね。
因みにあと2つは障害年金が認められたというご報告です。
これについては、また後日書きたいと思います。
さて、2日前のことになりますが、厚生労働省年金局から電話がありました。
1月に再審査請求をしていた案件について内容を精査したところ、
3級で認められるべき案件であり、日本年金機構に処分の変更を命じたとのことでした。
要するに上手く行ったということです!
不服申立て(審査請求や再審査請求)は現実問題として簡単ではありません。
私は勝率は悪くない方だと思いますが、それでも6割程度のものです。
それだけにこの報告は非常に嬉しかったですね!
今回の案件は、変形性股関節症によるものでした。
この方は人工関節を置換されていましたので、
障害の程度としては3級相当であることは当初から分かっていました。
問題は、初診日が国民年金(第3号被保険者)期間にあったこと。
この場合は障害基礎年金を請求することになりますが、
ご存知の通り障害基礎年金に3級はありません。
要するに、そのまま申請をしても認められないんですね。
…で、この方の場合はその後症状が落ち着いて股関節の痛みも全く無くなり、
通院をしていなかった期間が約6年間ありました。
そして、再度股関節に痛みを覚えて病院を受診した時は厚生年金期間中でした。
この『痛みもなく通院をしていない約6年間』について、
社会的治癒が認められるか否かが今回の案件の最大のキモでした。
これまでいくつか社会的治癒の案件はやったことがあったのですが、
その中でも1番難しかった案件でしたが、理由は2つありました。
1つは再度痛みを感じて病院を受診した後も、
厚生年金期間が約10年あったこと。
実際、痛みを感じながらも生活の為に頑張って働いていた訳なんですが。
ただ、社会的治癒を主張している期間はその前の約6年間ですので、
6年間フルタイム勤務出来る程頑張っていた!と主張しても、
その後10年も働いているじゃないか!と思われる可能性がありました。
もう一つは社会的治癒を主張するにもその期間が相当に古かった(約20年前)ことから、
充分な証拠や証言が得られなかったことです。
実際、いくつかの写真や証言を得ることは出来ました。
しかし、自身を持って社会的治癒を主張するというところまでは至らなかったのです。
障害年金から10ヵ月後、不支給決定がなされました。
10ヵ月も掛かったくらいですので、年金機構内部でも色々と検討はなされたものと思われます。
それから審査請求を行い、3ヵ月後に棄却処分が行われました。
そして今年の1月の再審査請求に再審査請求を行ったのですが、
最初の障害年金請求以降、追加で提出出来るような資料も全く見つかりませんでしたので、
正直なところ、それ程自信はありませんでした。
今回の案件は薄氷の勝利だったと思います。
非常に難しく厳しい案件だった訳ですが、
その厳しい環境下でも最終的に認められた最大の要因は、
やれることを全てやって、主張すべきことを全て主張したことだと思います。
前記の通り、社会的治癒を主張するには証拠も証言も充分では無かったのですが、
それでも、それらの証拠等が無ければ認められることは無かったでしょう。
これから障害年金の請求をお考えの方々。
初診日が相当に古い場合はカルテが残っていないこともあると思います。
そして、それに代わる資料を見つけるのは非常に大変なことです。
また、社会的治癒を主張する時も同じです。
社会的治癒を主張するのに合理的な理由や証拠がなければ難しいですので、
やはりこれらを探し出す必要があります。
また、通常の障害年金請求で認められなくても、
不服申立て(審査請求および再審査請求)をすることは可能です。
不服申立ては難しいので中々認められないと思っている方も多いと思いますが、
今回のように認められるケースも勿論あるのです。
諦めるのはいつでも出来ますので、最後まで歯を食いしばって頑張りましょう。
この方のご家族から最初にお電話を頂いたのが約2年前です。
当初から社会的治癒が認められることが大前提の案件であることは分かっていましたので、
ご依頼を頂く際にも審査請求や再審査請求まで戦う可能性があることは告げていました。
ここまで2年間、本当に長かったと思います。
私としても、最後まで諦めなくて本当に良かったです!